考える留学ブログ

高校で一年間New Zealandへ留学。2018年からはオーストラリアにあるGriffith Universityで主に観光について勉強している大学二年生です。日々の生活で思うことや皆んなに知ってもらいことなど更新していきます。

自分らしく生きる

私の高校時代の友人たちは皆んな本当に優秀で何か社会問題を解決したい!とか将来は「こんな役立つビジネスを作りたい!」とか同い年なのに本当に人としてかっこいい人たちが沢山います。

 

それに対して私は社会問題のこれを解決したいとかいう熱いパッションはないし、社会に役立つビジネスを立ち上げたいとかいう夢もありません。今日はそんな自分でもいいじゃないかって話をします。

 

人と比べる

周りの子と違って何にも興味が無いような、社会の役に立たない自分が好きではなかったし、優秀な子と比べてばかりで自分が本当に惨めに思える時期がありました。

 

誰もがケータイ、パソコンは必ず持っている時代だから人からの情報を100%とシャットダウンするのはオーストラリアにいても難しいことです。尊敬する友人がまた新しいことに挑戦していたり、夢に近づいて行っていたりと日々誰かの情報がアップデートされていきます。そんな情報を見て私はこの人達には到底及ばないと何度も落ち込んで自分の無力さに実感してつくづく自分のことが嫌いになってしまった時もあります。

 

常に「何か社会に関する問題意識を持って将来はそれを解決しなきゃ」と焦っていた自分をブログを書き始めてからは忘れることが出来て本当に自分が心からやりたいこと、楽しめることは何かということに向き合うことができました。

 

自分がやりたい事って何だろう

私が考えるやりたいことというのは、「それを考えた時に心が動くもの」だと自分で定義しています。そして「問題を解決しなくてはいけないから色んなことに興味を持って活動をしていく」のではなく、「興味があるから色々知りたくなって行動をする。そして少しずつ解決していくもの」なのではないのかと思います。

また、自分がやりたい事というのは最終ゴールが「問題解決」ではなく、問題解決をした後のゴールがどこにあるかも分からないほどの道でも歩んでいきたいと思えるものの事をやりたい事と呼ぶのではないのかと考えています。

 

周りの子が優秀で何かに対する問題意識があって...という環境で過ごしてきた私はすっかり自分の心が動く瞬間を忘れていました。

確かに日本の社会というのか文化というのかは将来優秀に世界で活躍できる人材を欲しがっているように思えます。彼らはそうは思っていなくても少なくとも私たち若者にはそう届いています。

 

自然とそうした社会の意識は私たちの潜在意識へ入り込み、何でも人より優秀に、将来困らないようにと「今」を見ずに常に未来と自分の才能そして人と比べる事ばかり学んできたような気がします。それだから私の様に素直に自分の心に耳を傾けてあげられなくなって、何かが違うって心が訴えるけれど何が違うのか分からなくなって苦しんでいる人がいるのだと思います。

 

私が好きなことは旅をすることです。旅といってもリゾート地へ行って素敵な休日を過ごすのではなく、自分の足を現地まで運び目で見て人類の歴史を感じる様な旅が好きです。なんだかマニアックですが。現地の表面だけでなく奥深くまで見たいからバックパックとかとても興味あります。 また、何かを書くことが好きなので今はこうしてブログを書いています。

 

こうして自分のしたいことを見つけられたのはブログを書き始めたおかげです。

 

見て分かるように私の好きなこと興味のあることは社会問題に全く関係しません。それでも私はこれらをする時に自分の心がワクワクしていることを感じます。もしかしたら一生社会問題解決に携わる様な人材にならないかもしれない。でもきっと将来は幼い頃からの夢である客室乗務員として働いてその後に旅するブロガーとかライターとかになれたらなとか考えたりしています。 社会の役に立たなくても、何も解決できなくても自分がやりたいと思えることをしていたらいつかは誰かのためになるんだと私は信じています。

 

いくら周りの友人達が優れていて色んなことに取り組んでいても、それはその人達がやりたいと思うからやっていることであって自分の基準をそこに持っていく必要はないんじゃないのかな?その人達には誰にも負けないくらい強みがあって、能力を発揮できるフィールドで活躍している。

私も今は昔の様に誰かの基準に合わせ無理やり興味関心を持つことはやめることにして私が好きなことをしている。

 

 

それじゃああなたの心が踊る瞬間、力を発揮できるあなたのフィールドは何ですか?